「自律神経失調症」とは?
政治家の使う言葉には「美しい国、日本」、「戦後レジームからの脱却」、「骨太の政策」などのように、イメージだけが先行して、具体的な内容が不明な用語が多いように思います。
自然科学のはしくれである医学の世界では、政治家のようにあいまいな表現でごまかすことは許されません。
人体の各部をあらわす解剖学用語や人体の機能の原理を説明する生理学用語をはじめ、一つ一つの医学用語は厳密に定義されて、その言葉を聴いた者(当然、医学の基礎知識があることが必要条件ですが)が具体的に共通の認識を得られるように作られています。
たとえば、「脛骨」といえば膝から足首までを支える二本の骨のうち内側にある太い骨、俗に「むこうずね」と呼ばれる骨を指します。「呼吸」といえば生命の 維持に必要な酸素を外から取り入れて、体内の代謝によって生まれた二酸化炭素を排出する働きを言います。肺の中で大気と血液との間で行われるガス交換を 「外呼吸」、血液と各細胞との間でのガス交換を「内呼吸」と言います。
病名についても同じことが言えます。障害される部位、病気の原因や機序、病気の状態をできるだけ正確に表すように考えられています。「胃癌」は胃に発生した癌。「結核性肺炎」は結核菌の感染、増殖によってひきおこされた肺の炎症のことです。
日本人に一番身近な「高血圧」の場合、高血圧の大半を占めているのは「本態性高血圧」です。「本態性」という言葉は「原因不明」という意味です。つまり、「原因不明で血圧が高いレベルに設定されてしまった状態」を意味しています。
ところが、病名の中には未だにあいまいなものが幾つかあります。そして残念なことに、医師がそのあいまいな病名のあいまいさを利用して用いている傾向があります。そういった、あいまいな病名の代表格が「自律神経失調症」だと思います。
神経系は中枢神経と末梢神経に大別されます。「自律神経」は3種類ある末梢神経の一つです。
※この自律神経は中枢神経と内臓との間の橋渡し役で、すべての臓器の働きをコントロールする重要な神経で、全身にくまなくはりめぐらされています。
そこで、「自律神経失調症」について説明します。この病名は「自律神経の調子がおかしくなっています」。つまり「身体の内臓の調子がおかしくなっています」と言っているだけで、おおもとの障害部位や障害の原因や正確な状態を説明しているものではありません。
患者さんはどこか身体の調子がおかしいと感じて病院へ行くわけですから、「なんだかよく分かりませんが、あなたの内臓機能はおかしくなっていますよ」と言われただけだったら納得するはずがありません。
ところが、現実には医者から「自律神経失調症」という病名を告げられると、なんだか分かったような気分になって、帰っていく患者さんが多いのです。言葉のマジックです。
現代の医学は検査主流の医学です。ですから、身体の不調をうったえて病院へ行くと、さまざまな検査をします。医者も検査に頼っていますし、患者さんも病気は検査で分かるものと信じているからです。
さらに、健康保険を使った我が国の医療では、お役人が決めた、何らかの病名なしにはどんな治療もできません。ですから、なにがなんでも病名をつけておかなければならない事情もあるのです。
しかし実際には、現在の医学では、いくら検査をしても客観的な異常をとらえられない病気もまだたくさんあるの です。そうなると医者は困ります。そこで多用されるのが「自律神経失調症」です。なんと、健康保険で決められている病名にも、ちゃんと自律神経失調症が登 録されています。
本来は「あなたは不調を訴えていらっしゃいますが、検査では何も分かりませんでした」というべきだと思います。きちんとそう説明して、現在の医学検査が通用しない病気があることを患者さんに認識していただくことが正しい道だと私は思います。
ところが、さらに困ったことは、この病名が医学の基礎知識を知らない患者さんに対して「嘘の病名」としても使われていることです。末梢神経ではなく、明らかに中枢神経の中の脳の病気である心の病をごまかす時にも、この「自律神経失調症」が使われることがあるのです。
自然科学は解明された最新の事実を解りやすく説明することが大切です。しかし一方で、いまだ解明できていないことについては、現時点では解明されていないという事実をはっきりと知らせることも重要な使命だと思います。
末梢神経は「運動神経」と「知覚神経」と「自律神経」の3つから成り立っています。運動神経とは中枢神経からの指令を筋肉に伝えて、運動をさせる役 目を持っています。知覚神経は皮膚や筋肉などが感じた刺激(痛み、温度、引っ張られ具合など)を中枢神経に伝えるための伝令の役割をもっています。